米国のAIスタートアップInceptionが、拡散型の言語モデル「Mercury 3」を2026年10月に発表しました。同社の比較では、Nvidia製GPU上で毎秒1,068トークンを生成し、GPT-6 LunaやClaude Haiku 5.5と比べて4〜8倍の速さだとしています。12項目のベンチマークのうち8項目で上回ったとも主張しており、AIの競争軸が「賢さ」から「待ち時間」へ広がりつつあることを示す一例です。
文章を一語ずつ書かないモデルの正体
GPTやClaudeのような主流の言語モデルは、文章を一語ずつ順番に生み出します。次の語を出すには直前の語が決まっている必要があり、レジの行列に並ぶようなものです。どれだけ計算機が速くても、この「一列待ち」の構造は変わりません。
Mercury 3が採るのは拡散モデルという方式です。画像生成AIで広まった考え方を文章に持ち込み、まず回答全体の粗い下書きを作り、何度かの処理で整えていきます。多くの語を同時に扱えるため、速度面で有利になるというのがInceptionの説明です。Googleも同じ系統の研究を進めており、Gemini Diffusionのデモに続いて、6月にはオープンモデルの「DiffusionGemma」を公開しました。標準的なGemma 4より最大4倍速い一方、結果はやや劣るとされています。
Inceptionによれば、Mercury 3のパラメーター数は初代のMercury 1の40倍超でありながら、速度は同等です。小型版のMercury 1 miniと比べると性能は3倍になったとしています。拡散型でも、規模を大きくすれば性能が着実に伸びる。同社はこの点を重要な手応えと位置づけています。
ベンチマークの勝敗は一枚岩ではない
発表では「12項目中8項目で首位」という数字が目を引きます。ただし比較は同社自身の測定で、3つのモデルとも中程度の設定で動かした条件です。
差が大きいのは指示への追従です。IFBenchでMercury 3は76.84点で、GPT-6 Lunaを約15点上回りました。自律的なコーディングを測るSWE-Bench Atlasでも51.08点を記録し、競合の33.33点、32.26点を引き離しています。
一方で、長めのコーディング課題であるDeepSWEはClaude Haiku 5.5が制しました。長い文章から情報を探す課題でも同モデルが優位です。Artificial Analysisの2項目ではGPT-6 Lunaがわずかに先行しています。同社の簡易的な紹介文が品質を「同等かそれ以上」と控えめに表現しているのも、この内訳を踏まえてのことでしょう。
速度についても、Mercury 3の1,068トークン/秒に対し、Claude Haiku 5.5は約240、GPT-6 Lunaは約130というのが同社の比較です。独立した第三者による検証結果はまだ出ていません。数字は「有力な主張」として受け止め、自分の用途で試して確かめるのが現実的です。
待ち時間が価値になる場面
Inceptionが主な用途に挙げるのは、AIエージェント、検索、カスタマーサポート、学習支援です。とくにエージェントは、1つの仕事を何段階にも分けて進み、そのたびにモデルの返答を待ちます。1回あたりの遅れは小さくても、積み重なれば利用者の体感は大きく変わります。
早期利用企業の声も速度に集中しています。スマートグラス向けの検索機能を手がけるOcten AIの創業者Kuan Zou氏は、「スマートグラスでは5秒かかる答えは壊れているように感じる」と述べています。検索自体は約80ミリ秒で終わり、ボトルネックは言語モデルだったとのことです。Mercury 3を使うと応答時間の中央値は0.9秒、全体の処理は2.2秒になりました。
教育事業のGeneral Learningは、生徒へのヒントや添削を約1秒で返せるようになったとしています。カスタマーサービスのLorikeetは、応答の高速化に加えて結果の改善も報告しました。Webサイトの操作を自動化するTinyFish AIは、実在サイト上の50件のナビゲーション課題のうち25件を解決し、GPT-6.1-Solを上回ったと説明しています。ただしOpenAI側の具体的な数値は示されていません。
導入判断では速度以外も見る
使い始めるハードルは低めです。Mercury 3はInception自身のプラットフォームのほか、OpenRouter、Baseten、Vercelで提供されています。OpenAIのモデルと互換性のあるAPIを採用しており、既存の仕組みからの切り替えは手間が少ないというのが同社の見立てです。入力は最大100万トークンまで扱えます。
料金は通常価格で入力100万トークンあたり0.20ドル、出力が0.70ドルです。発表時点では半額で提供されていますが、割引がいつまで続くかは示されていません。通常価格に戻ると、短い入力ではGPT-6 LunaとClaude Haiku 5.5の出力単価(どちらも0.50ドル)を上回ります。ただし非常に長い入力では、競合2モデルの料金のほうがかなり高くなります。
Inceptionは2026年2月に、回答前に中間の推論を挟む初の拡散モデルとして「Mercury 2」を公開しています。それ以前には5,000万ドルを調達しており、出資者にはNvidia、Microsoft、Snowflakeの投資部門であるNVentures、M12、Snowflake Venturesが名を連ねます。
結局のところ、選ぶ基準は速さだけでは決まりません。品質、料金、長文の扱い、そして自社サービスがどれだけ待ち時間に敏感か。この組み合わせで判断することになります。リアルタイム性が命の用途なら、Mercury 3は試す価値のある候補になりそうです。


コメント